2011年7月29日金曜日

カブスカウトキャンプ

今年9月からカブスカウトに入隊予定の美也。夏のキャンプの参加させてもらい、すでに入隊している上級生に混じって
スカウト活動を体験しました。火を熾し、はんごうでご飯をたくなど初めて体験することばかり。閉会式の時には、カブの中で特に頑張ったと評価をいただき、ご褒美を頂いた美也でしたが、キャンプの成果をもっとはっきりと見ることができたのは、自宅に帰ってからでした。夏休みを1人でお留守番している美也が、キャンプ中に冷凍されたウインナーを解凍した時の経験を基に、夕飯用に準備していたハヤシライスのソースを自分でガスに火をつけ、温めて食べていました。食べ終わった食器は、きちんと洗い片づけられるようにしてくれていました。「いつの間にこんなことができるようになったん?」と聞くと、「キャンプで勉強したから・・・・」あっぱれ、キャンプ!あっぱれ、美也!!でした。

これが朝食用のウインナーを解凍しているところ

キャンプ中特に頑張ったカブに選ばれ、みんなにお祝いしてもらっている美也

2011年7月10日日曜日

子供たちの料理

譜羅人のクラスは去年度暮れから野菜を保育園の畑で栽培していて、この夏には年長さんが毎年夏野菜を育てているように、譜羅人も栽培していた。なすび、ピーマン、ゴーヤ、春には玉ねぎも育てていたが、その野菜を使ってカレーを作り、園の子供たち全員がごちそうになった。

親の私は、自分ではなかなか包丁の持ち方、切り方など教えるには踏ん切りがつかず、本人がやりたくても後回しにしていたが、保育園でカレーを作り、本人も自信がついたようなので、今回思い切って煮込み以外の工程を子供たちにお願いした。
 今にも指を切りそうな包丁さばきは見るに堪えず、包丁を取りたくなることも多々あったが、包丁の刃を野菜に食い込ませ まな板にたたきつけるように野菜を切りながら楽しんでいるのを見ると、保育園の先生に感謝の念が込み上げてきた。  
 やっぱり自分で子供に全部の事を教えるのには限界があり、人の手を借りないと出来ないことが多くある。今回の調理は そのひとつであり、学ぶ場を提供し、子供たちの可能性を見つける手助けをしてくれる人に感謝せずにはいられなかった。




野菜の大きさがバラバラだったが、それがまた私がいつも作るカレーと違い、おいしかった。
自分たちの働きに大いに自信を持ってほしいと思います。

亜那も写真撮影に飛び入り参加

2011年6月12日日曜日

美也のバプテスマ






















                                            
                                       
                                     
とうとう我が家の長男美也が、2011年6月4日、誕生日の日にバプテスマを受けました。2003年に誕生して早8年です。本人もバプテスマを受けるのをずっと楽しみにしていました。お父さんでもある支部会長から、バプテスマを受ける資格があるかどうか面接を受け、無事この日を迎えました。
従来なら洲本支部では、バプテスマをする時は近くの海で施すのですが、本人の希望で神戸ステーク明石ワードに行き、そこにあるバプテスマフォントでバプテスマを受けました。バプテスマ会が始まる前に、家族で写真を撮りましたが、譜羅人も自分の事のように喜んでいました。美也以上にうれしそうに写真に写っています。

1985年春に、母が宣教師に会い始め、それから私が母の後を追うようにして話を聞き始め、夏にバプテスマを受けました。受けた当初はそれほど熱心ではなく、どちらかと言うと宣教師(アメリカ人)と会うのが楽しかった程度だったのですが、最初に私の心の中に植えられた種が、少しずつ大きくなり、何十年も教会に行くだけの強くて大きな種に成長しました。そして、子供たちを教会の教えに従うように教え、同じ門をくぐることになりました。母から始まった福音を取り入れた生活が美也にも、そして譜羅人にも影響しています。譜羅人も大きくなったら、美也と同じように白い衣装を身にまとい、バプテスマを受けるのを楽しみしています。

2011年5月22日日曜日

初めてのつり

  釣道具を買ってほしいとねだられていましたが、念願かなってやっと釣り道具を購入し、洲本港近くで釣りをしました。

 この時に釣った魚は、「おせん」と呼ばれる魚。残念ながら夕飯のおかずにはなりませんでした。記念写真を撮っていると、近くで昼寝をしていた猫たちがぞろぞろ寄ってきて、魚に猫パンチをして、釣り針ごと咥えて逃げて行きました。この日の収穫は、ふく1匹、おせん3匹、それともう1匹あらかぶみたいな魚を釣りました。(全部夕飯にはならない魚ばかり・・・)

 

2011年3月31日木曜日

4月6日から出勤

亜那の妊娠出産でしばらく私も家でのんびりさせてもらっていましたが、来月から淡路市立富島小学校へ配属されることになりました。教員免許や介護の資格を持っていない私が、小学校勤務になるなんて、正直昔と時代が変わったなと思います。障害を持つ生徒の支援なので、大変なことも多々あると思います。その反面、我が家の子供たちにとっては私の今回の仕事は想像以上に良い仕事かもしれません。

生徒たちが休みになる、春休み、夏休み、冬休みが全部休みになることです。その間、私の収入はないですが、子供たちが一人で留守番をしなくて済みます。こうした長期の休みの間を、子供たちをどのようにしてあげたらよいのか、ずっと気にしていたのですが、私が同じように休みだということで、悩みが一挙に解決です。

どうしてこんな良いことが起こるのかと思いました。やはり、神様の影響が大きいのでしょうか。私が一番気にしていた子供たちの長期休暇、どのように一人でいる状態を少しでも減らしてやるかです。学童に入れることも一つの方法ですが、私がどんな仕事に就くかで、もし迎えに行ける時間が遅くなると、預けたくても預けられない状態になるし、学童に入れずに子供たちだけで留守番をさせると、いろんな問題が起きてきます。子供たちに管理能力がない間は、そのような無茶はさせられません。今回の仕事は、仕事が終わって子供たちを迎えに行く時間が遅くても4時半頃になる予定で、大きな負担はお互いにないと思われます。土日祝日は確実に確保できるし、我が家は主人が月曜日が休みなので、もし学校行事で月曜日が休みになっても、親が家にいるので子供たちには何の負担もかけずに済みます。新しい生活リズムに慣れるには時間がかかり、仕事もきっと大変だと思いますが、この仕事が持つ意味を考えた時、神様の導きを考えずにはいられません。

3月28日に洲本市内の公園で遊んだ時の写真
海沿いなので、風は冷たかったですが
ピクニック日和でした








2011年3月16日水曜日

春です


3月も早下旬です。我が家の庭にある遅咲きの梅も咲き始めましたが、毎年この近辺で見事にさく梅が満開です。息をのむ見事な梅を見るたび、自然の美しさにしばしうっとり。しかし、今年は東北地方で大きな災害が起こり、こうした自然を楽しむ余裕が持てるのだろうかと思われる人たちがあまりに多いのが残念です。 





 
 


子供たちが庭に作った秘密基地。
どんなことをイメージしながら作ったのでしょう。
いろんな友達が付け足し、改善しながら
このようになりました。

前髪以外全然切っていなくって、全体がかなり伸びました。
いつもは前髪だけをくくっているのですが、この日はポニーテールに
してみました。ほんわかしたふいんきが京都のおばさんに似ている感じ。


今年の譜羅人が作ったお雛様
譜羅人は工作、ぬり絵が上達して
最近はトムとジェリーのぬり絵にはまっています。
あまりに集中して塗っているので
声をかけても耳に入らないみたい。
幼い話し方をまだしますが
4月からはとうとう年長さんです。


2011年2月20日日曜日

私の誕生日

 今年もまた一つ年をとりました。今年は子供たちが私に花を買ってくれました。下の写真にあるように、雪が積もって近辺の道路も通行止めになって大変だったのですが、雪の中お父さんと買い物に出かけてくれました。譜羅人と約束していたゾウガメケーキと買ってきてくれたお店のケーキとでお祝いです。譜羅人と亜那がケーキのろうそくを一緒に消してくれました。



何十年振りかの大雪。見る見るうちに雪が積もっていってあたり一面雪景色です。

母が亡くなって明日で3年です。当時2才になったばかりの譜羅人はもう5才で、あと数カ月したら年長になります。今までいろいろな機会に母を思い出す機会が多々ありましたが、この3年が過ぎるのも早かったです。何度となく母親からうける影響を考えてきました。一番大きな影響を受けたのは、ビートルズです。ビートルズのメンバーの一人のジョンレノンが亡くなった時私は10才で、ビートルズを知るようになる直前でした。ラジオ番組でビートルズの特集があり、それを母に教えてもらって、ビートルズの曲を聴くようになりました。初めは母の懐かしい昔話で始まったのですが、Please Please Me やA Hard Days Night、Please Mister Postmanなど初期の曲を聞くにつれて、当時でも20年ほど昔の曲だったのに、私には衝撃的で虜になってしまいました。中学・高校と浮き沈みの激しい生活の中で、きれいなメロディーに慰められたり、元気付けられたりしました。私にとっては、一番の力の源でした。今でも車の中でビートルズの曲が聞けて、子供たちも口ずさんでいます。母が自分の昔を懐かしみながら私に教えたバンドグループを、次は私が昔の母のように、自分の昔を懐かしみながら子供たちに聞かせています。子供たちも私と同じようにビートルズかぶれになるかは定かでないですが、今後子供たちが大きくなって英語を勉強するようになる時に、きっとおばあちゃんからの受け継ぎに思いを馳せることがあることでしょう。                                       (母 一番左)

母のアルバムの中の切り抜き
デビュー当時のビートルズ
たぶんBBCの前で撮影